知らない子供、知ってる大人

さてさて、今回から議論という小見出しを作らせて頂きました。
まぁなんといいますか、個人的な趣味ですよ、趣向というヤツ。
読みたい人は参考までに。意見違ってイライラする人はスルー。(イライラする場合は)コメントとかも控えた方がいいかと。
個人的な意見も述べられる場にしたいかなぁと思ってます。
この文は毎回載せられるようにします。


知らないというのは罪である。
これは中学校時代の顧問がNZ研修前のガイダンスで言っていた言葉でした。
知らぬまま何かをしてしまい失敗して「知らなかったんだ」と言っても失敗は失敗です。
例えるならそうですね、微妙な例えですが、外国へ出国する際はさみを持ち込むのは禁止ですよね。危険物ですから。それは通常入場ゲートの持ち物検査手前で立て札があります。
それに気付かぬまま、ばれぬまま飛行機に乗れるとします。そして、入国でばれたとしたら、その国の法律で裁かれます。強制帰国もやむを得ないでしょう。
尋問されて、「知らなかった」じゃあ済みませんよね?そりゃあ。知ろうとする努力・意識っつーものがないのですよね。えぇ。
だから酷いんです、こういう場合。
それの具体例が子供(小学生とか、ね)
最近は部活の時間帯に合わせてバスに乗るんです。バス通学をする小学生達(市立)が多いんですよこの地域。
学生である自分が言うのも癪に触られるかもしれませんが、子供達はマナーっつーものを分かってない。すなわち親・教育者が教えていないってコト。
親から聞いたのですが、小中高とある某進学校Tでは、学校側からしっかりとマナーを教わっているのです、児童に。「公共交通機関では極力座らない、絶対騒がない、席を譲る」などなどといったこと。
電車に乗っていると、そのT学園と他の学校の小学生の違いがわかります。
それができない、きづかないっつーのが公立の小学生。数が多いから本当に大変。
まずは、場所を詰めない・動かない。おばさんに注意されても逆に怒る。
実際酷い。乗ってみると。最初は微笑ましかったけど段々うざったく。
こういうマナーを教わっていない子供達は可哀想であり、いけないと思う。


知っている大人。ある意味子供よりも悪質であると自分は常々思う。
知っていながらもやらないんです。大人は。違う見方をすると嘘つきなんです。嘘つきアリスじゃあないよ(ぉぃ
電車に乗っていて思うには扉付近でも降りない人とか最悪だと思う。降りたいのに壁となって降りれない。実際強く押さないとどいてくれない。自覚をするには強い衝撃が必要になってくる。
だけど、大人というのは知っていながらも逃げたい逃れたいというのが恒。
押した場合無言な場合はアレですが、舌打ちをする人とかいるんですよね。酷いんです。実際悪いのはあなたでしょう。と。言葉をふっかけてくる人もしばしばあります。
本当悪質で子供より酷いです。くどいですが、酷い言い方をすれば子供より酷いです。



以上です。マナー道徳のお話し、難しい言い方をすれば典拠主義真理についてお話しをしました。こういうお話しは必ず正しいというわけではないです。
誰かによって正しい間違っているというのが決めつけられない問題。
「いじめは悪いことである」というのが必ずしも正しいという訳ではない。というのと同じコトです。これは、人によって違うわけです。もしかしたら、いじめが美徳とされていた時代・国もあったでしょう。わかりませんが。
たら・ればで話したくないですが、もしかしたら、現在という時間軸の常識でいじめが美徳となっていたかもしれません。
こういうことです。


ではきょうはこれにてー